バチカン市国観光記
バチカン市国の歴史
イタリア半島のほぼ中央部の西側に位置するバチカン市国は、古代においてはローマ市の郊外に位置していました。
コンステンティヌス帝が、326年にこの場所を聖ペトロの殉教の地であり、墓所であるとして、教会を建築したのが、バチカン市国の始まりになります。
やがて、この場所がローマ教皇の本拠地となってからは、カトリックの総本山として、ヨーロッパ全体に影響力を持つようになり、ルネッサンス期には教皇の勢力の最盛期を迎えて、全ヨーロッパの中心となりました。
しかし、その後の宗教改革により、プロテスタントに転向する国家も増え、バチカン市国の影響力は、だんだんと失われていきます。
ラテラノ条約
1860年にいたり、イタリア王国の成立と同時に、ローマ教皇が各地に所持していた教皇領が接収されてしまうことになります。
このため、ローマ教皇はイタリアとの関係を断ち、「バチカンの囚人」としてバチカン宮殿に引きこもってしまいます。
この関係を修復するために、1929年教皇庁とにムッソリーニとの間でラテラノ条約とよばれるものが締結され、教皇側が教皇領を放棄すること、その代りにバチカンを独立国と認め、カトリック教会の地位が保証されることになったのです。
現代のバチカン市国の歴史は、ここから始まるのです。